クリニック承継で予測できるトラブルと対策
1. クリニック承継の意義とリスク
クリニックの承継は、地域医療を維持するために極めて重要です。高齢医師の引退が増える一方で、承継がうまく進まなければ、今まで通っていた地域の患者は通院先を失い、働いていたスタッフは再就職にむけて動かなければなりません。
しかし承継は単に経営者が置き換わるというだけでなく、患者との信頼関係・スタッフとの協力体制・地域の評判といった“目に見えない資産”をどう守り、引き継ぐかが問われるので、極めて繊細なプロセスとも考えられます。ここに失敗すると、長年築いた地域医療の基盤が一気に崩れるリスクがあります。
2. 第三者承継、M&Aそれぞれの視点
クリニック承継は親族内での承継、M&Aや第三者への譲渡など、いくつかの選択肢があります。
第三者承継に伴う文化的摩擦
親族以外の医師が承継する場合、地域特性などにもよりますが、「外部の人が急に入ってきた」という印象を持つ患者もいるかもしれません。そのため、承継後の信頼獲得に少しハードルを感じる場合もあるでしょう。こうした“地域との心理的距離”は、スタッフ間にも摩擦を生むことがあり、丁寧な関係構築が求められます。
M&A特有の課題
M&Aを通じて医療法人やチェーンに承継される場合、企業側が収益性を重視する一方で、スタッフは「営利化された」と感じることがあります。診療スタイルや勤務形態が一気に変わり、短期間で離職や患者流出が進むケースもあります。ここでは「経営合理化」と「医療の公共性」とのバランスをどう取るかが最大の課題です。
3. トラブルの具体例
診療スタイルの違いから、患者離れ
特に多いトラブルが「診療スタイルの違い」です。患者にとっては「先生が変わった」という事実自体が大きな衝撃です。診療方針や雰囲気が急変すると、患者が他院へ流出してしまう可能性はあります。
例えば、前院長が患者とのコミュニケーションを大事にする人柄だったとして、新院長が効率重視で診療時間が短くなるだけで、患者からすると「なんだか冷たい」と感じてしまうかもしれません。特に小児科や耳鼻咽喉科など「かかりつけ医」としての性質が強い診療科や、ドクターの人柄などで通っていた患者が離れてしまうケースがあります。前院長のスタイルを知りそれを踏まえながら、承継後の診療スタイルを意識していくことも必要でしょう。
また、承継前から、前院長が承継について患者に周知したり、新院長が患者に歩み寄る姿勢をみせることで、少しずつ患者に理解していただけるように努めましょう。
コミュニケーション不足による、スタッフ離職
“コミュニケーション不足”という比較的ありがちな要因ですが、決して侮ることのできないポイントです。スタッフや患者に承継の意図や今後の方針を十分に説明しないと、不安を与えるだけでなく、思いもよらぬ誤解が広がることもあります。また、承継時のスタッフの雇用条件・待遇面が不透明であると、不信感やモチベーション低下により、スタッフが離れてしまうことも想定できます。スタッフが次々と辞めてしまうと、そういった負の雰囲気は患者にも伝わってしまうことがあります。患者も安心して通えなくなるという二重のダメージにつながりますので、スタッフとのコミュニケーションについては、意識的に、丁寧に対応していくことが大切です。
承継前だけでなく、承継後もスタッフとのコミュニケーションは永続的に続けていくことです。特に、承継直後はスタッフにとっても大きな環境の変化です。新院長の診療スタイルや方針が従来と大きく異なる場合、慣れるまでに不安やストレスが生じます。忙しくスタッフに寄り添う余裕がないときも、どうにか意識的に時間を取りスタッフとコミュニケーションすることを怠らないことが大切です。
地域の評判低下
承継後は、地域住民が「このクリニックは大丈夫なのか」と厳しい目で見守っています。スタッフの退職や患者の流出が目立つと、地域全体での評判が落ち、さらに新患獲得が難しくなるという悪循環に陥ります。承継は単なる事務手続きではなく「地域からの信頼をどう守るか」という課題と常に隣り合わせなのです。
特に開業後や承継後は、「どういったお医者さんなのか?」と、口コミなどを参考に来院を検討する方も多いです。評価の低い口コミを集めてしまわないよう、日々の診療で患者にしっかり寄り添うことや、地域との連携を図るようにしましょう。
経営状態の不透明さ
譲渡側が正確な経営データを提示せずに承継が進むと、譲受側が赤字経営や借金を背負うケースがあります。最悪なケースとして、隠れた借金や係争中の問題を引き継いでしまい、新オーナーが想定外のリスクを抱えることもあり得ます。
承継は「地域の医療を守るための手段」であると同時に「リスクマネジメント」であるという認識が不可欠です。
4. 経営方針の明確化とトラブル回避
承継成功のためには、新経営者が明確な方針を示し、トラブルを未然に防ぐことが不可欠です。
- スタッフ説明会: 雇用条件や診療方針を明示し、質疑応答の場を設ける。
- 患者への告知: 院内掲示やニュースレターで変更点をわかりやすく伝える。
- 地域連携の強化: 近隣医療機関や薬局と事前に情報共有し、承継後も連携を維持する。
これらの取り組みは、スタッフ・患者双方の不安を軽減し、承継をスムーズに進める上で欠かせないものです。
5. 法的手続きの盲点と潜在的トラブル
クリニック承継には数多くの法的手続きが関わりますが、準備不足や確認漏れがあると深刻なトラブルを招きます。
所有権・賃貸契約に関する問題
物件の契約関係
クリニックが入居している物件が賃貸の場合、オーナーの承認が必要です。オーナーともしっかり関係性を築くことを怠らないようにしましょう。
医療モールやビル内の共有ルール
共用スペース利用や広告規制などの細かい契約条件が、新経営者に十分引き継がれないと、気付かぬうちに違反してしまうケースもあるので注意が必要です。
雇用契約の引き継ぎ
スタッフの雇用契約も承継の対象となりますが、条件の変更を一方的に行うと労務トラブルに発展します。特に退職金制度や有給休暇の承継について曖昧なまま進めると、訴訟リスクを抱えることになります。
診療報酬や行政手続き
保険医療機関指定の更新を怠ると、診療報酬が請求できなくなる重大トラブルに直結します。また、医師会への届出や、保健所への承継申請が遅れると、営業停止や罰則の対象になる場合もあります。法的手続きの不備は承継後の診療停止につながりかねないため、専門家を早期に関与させることが必須です。
6. 財務整理で生じやすいトラブル
財務関連のトラブルは、承継失敗の最も典型的な原因の一つです。特に「見えにくい負債」や「過剰評価された資産」は、譲受側にとって大きなリスク要因となります。
隠れ債務の問題
リース契約の存在
医療機器のリース契約が残っているか、内容を必ず確認するようにしましょう。承継後に月額費用の負担が新経営者にのしかかることのないよう、注意が必要です。
未払いの税金・社会保険料
承継時に十分な調査を行わず、後に差押えを受けるといった深刻なケースもあります。
資産評価の不透明さ
医療機器や内装設備の評価額を過大に設定し、実際よりも高額で承継が成立してしまう事例があります。設備の老朽化や保守費用を見誤ると、承継後に多額の修繕費用が必要となり、予想外の出費を強いられます。
キャッシュフローの見誤り
表面的な損益計算書の確認だけでは不十分です。過去の診療報酬の入金サイクルや患者数の推移を十分に分析せず承継すると、「想定より現金が回らない」という事態に直面します。結果として、スタッフ給与や仕入れ代金を滞納し、信用不安に発展することもあります。財務整理の段階で専門家のアドバイスをもらいましょう。
7. トラブルを未然に防ぐための実務ポイント
承継に伴うトラブルを回避するには、事前の準備と透明性の確保が何よりも重要です。以下は、実務において有効なポイントです。
1. 現状分析の徹底
患者動向
年齢構成や来院頻度を把握し、診療科の継続性を確認する。
スタッフ状況
勤務年数・スキル・退職意向を事前にヒアリングする。
地域ニーズ
競合の動向や人口動態を分析し、将来の需要を見極める。
2. コミュニケーションの設計
- スタッフ説明会・ミーティング等を複数回実施し、承継内容を透明にする。
- 患者への周知活動として、ホームページや院内掲示を活用する。
- 関係機関との情報共有を行い、診療連携を途切れさせない。
3. 専門家の活用
承継は医療・法律・財務の複合的な領域にまたがるため、弁護士、税理士、医療コンサルタントなどの専門家を早期に関与させることが不可欠です。外部の視点を取り入れることで、当事者同士では気づかないリスクを事前に洗い出すことができます。
4. リスクマネジメント体制の整備
- 契約書チェックリストを作成し、抜け漏れを防ぐ。
- 毎月の資金繰りを可視化する。
- 承継後3〜6か月のフォローアップ会議を設定し、トラブルの早期発見に努める。
トラブルは「承継のその日」ではなく、事前準備の不足から生じるケースが大半であるため、“承継前からのリスク管理” が鍵となります。
まとめ トラブルを恐れず、準備で回避する
クリニック承継は、地域医療を次世代につなぐための極めて重要なプロセスです。しかしその一方で、計画不足・情報不足・説明不足といった要因から、多くのトラブルが発生しているのも現実です。
承継後にはスタッフとの不和、患者離脱、財務リスク、地域評判の低下といった問題が起こり得ます。一方で、承継を成功させる条件も明確です。譲渡側・譲受側の信頼関係、スタッフの合意形成、患者への丁寧な説明、そして専門家の活用。この4つを軸に、承継準備を段階的に進めることで、リスクを最小限に抑えることができます。
承継は「トラブルを避けるための消極的な選択」ではなく、「地域医療を守り、発展させるための積極的な戦略」です。トラブルの芽を事前に摘み取る準備こそが、承継を円滑にし、患者・スタッフ・地域に安心をもたらす唯一の道と言えるでしょう。